<お家にいよう>と社会サービス

 新型コロナウイルスは、半世紀をかけて進めてきた生活機能の社会化を破壊し、家庭に押し戻してしまった。子どもも大人も高齢者も障がい者も、事情にかかわらずすべての人が在宅することを強いられた。
 3月2日の一斉休校に始まり、学童クラブ、高齢者や障がい者施設、デイサービス、ショートステイ、訪問介護・看護、シェルター、共同生活寮、子ども食堂、各種相談・支援センターなど、生活の基盤となっているすべての機関が軒並みクローズか大幅縮小となった。外部サービスの利用をいっさい断ち切られた日々は一見昔の暮らしに引き戻されたようであるが、家族以外との接触ができない状態は当時よりもっと苦痛を伴うものだった。
 「ポツンと一軒家」という人気番組がある。人が住んでいるとはおよそ想像できないような山奥の一軒家を探して行くのである。そこで出会うのは、長年住み慣れた家で自給自足に近いくらしをしている高齢者だ。これらの高齢者がこのくらしに満足し明るいのが印象的だ。そのくらしを見るにつけて感じるのは、「外出抑制」と「ソーシャルディスタンス」によって、自給自足のライフスタイルのかけらもない私たちの暮らしが窮地に陥ったということだ。

 

学校にも学童クラブにもスイミングスクールにも行かれなくなった子どもの世話は家庭に押し戻され、在宅勤務する母親の仕事は倍加した。広くもない住宅で親子がひしめき合う日々のストレスは半端なものではない。子どもの養育の多くの部分が外部サービスの利用で維持されてきたことに気づかされる。

 

2000年に施行された介護保険制度によって、高齢者介護は家族(妻や嫁)の役割が社会サービスに転じたが、その背後には長年にわたる女性たちの運動があった。家父長制イデオロギーによって阻まれてきた高齢者介護が家庭から社会へと移ったことは画期的なことだった。デイサービスやショートステイもそうだ。しかし新型コロナウイルスは、なんのイデオロギーも介在することなく、これらの機能をマヒさせてしまったのだから恐ろしいことだ。このことがなければ、私たちは、現代のくらしがどれほど高度なものになっていたのかに気づくことはなかっただろう。

 

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コメント: 2
  • #1

    井上恵子 (金曜日, 29 5月 2020 08:55)

    この命の危機を伴なう自粛期間に人々は多くのことを学びました。過去を振り返りながら、未来の自分、家族、社会の有り様を思い描いてみると、国家間の戦争や経済活動のグローバルな展開がいかに無益なものであったか、これからを生きる子ども達、命の存続ために私達は何をしなければならないかを実感として理解できたのではないかと思います。
    多くの先人達のたゆまぬご努力に感謝しつつ、この間の人々の発信の中に、戦後教育の成果が確実に表れ始めたことを確信しています。

  • #2

    宮本みち子 (金曜日, 29 5月 2020 09:31)

    本当にそうですね。コロナ禍を経験しなければ、真に考えるべきことは何か、何をしなければならないか、何をしてはならないか、を深く考えることもなかったと思っています。
    「戦後教育の成果が確実に表れ始めたことを確信」に依拠してこれからの暮らしと社会を考えていきたいですね。